いつだって考えるのは何故静岡で昆布を?のことばかり

そうです。何故静岡で昆布を売っているんでしょうか?次郎長屋は???

次郎長屋の歴史は、昭和21年に遡ります。父方のおじいちゃんと、私の父が戦後の闇市がそのまま

マーケットになった「清水みなとマーケット」で商売を始めました。

当初は、缶詰、砂糖、豆など、まぁ食料品で依頼のあったものなら何でも販売していたんじゃないでしょうかね〜。

小売りだけでなく、卸(と言っても料理屋さんなどに沢山配達する掛け売り)もやっていたそうです。

その後、商売をしてゆけば当たり前のように「個店としての差別化」してかないとダメです。

今で言う「デパートで行っている○○物産展」のようなコンセプトで色々な地方の美味しい商品を取り揃えるようになってゆき

その中で定番商品が生まれ、味噌、漬物、佃煮の大きな3つのカテゴリーが生まれたようです。

この時期がだいたい私が生まれた40年前位じゃないでしょうか、、。

寝台列車に乗って仙台まで出向き(もちろん現金取引なので、相当額の現金を持って)

仙台味噌の佐々重さんとの取引をしてもらった事も父から聞きました。

しかし、デパートの台頭、その他競合店の新規出店や、冷凍食品、惣菜など食品の多角化の中で

今後の次郎長屋を考える最中に、県立大学の夜間講座(昔の県立薬科大学の夜間講座)に通いその中で

古来から日本人が食べている海藻である昆布についての基本的な講義があり昆布の基礎を知ったようです。

そして、少しずつ、出し昆布、煮昆布などのアイテムを増やしていいったそうです。

その中で、昆布問屋さんからも色々な昆布の種類を聞く中で当初は(約30年以上前)ほとんど雑草扱いだった

函館の「がごめ昆布」を原料として、その「独特の粘り」簡単にたべられるように「長寿昆布 角切り」が出来上がりました。

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