広島記念旅行-Part4

日々考察

さて、とても濃い二日目の始まりです。

早朝恒例のランニング。

ホテルから原爆ドームまでの往復5キロです。実はJR広島駅は新しくなったばかりで

まだ工事中の所も目立ちましたが、広島電鉄がJR駅の2階に乗り入れる新たなルート

を作っていました。

分かりにくいかもしれませんが、奥が広島駅2階です。色々な広電の車両がガタンゴトンと

最新のJR広島駅に入ってくるのはちょっと萌えますね〜。

途中商店街がありました。立派なアーケードで、入り組んでいてパルコがあるのも

東京の吉祥寺に似てるかな、、。もっと規模が多いかもです。

ただフランチャイズのお店ばかりが目立って正直どこも同じかぁ、、と残念、、。

我が商店街と比べれば圧倒的に大きくて圧倒的に人通りがあるんでしょうけど

清水駅前銀座も頑張ってるなと思います。マジで。路面のタイルもとても特徴的なんで

子ども達が蛇行して歩く「おさんぽコースとして活かせないかなぁ〜って思います。

私は全く知らなかったゼッテリア・・・ロッテリアの新業態なんですね。ギャグかと思いましたw

アーケードの端にはこんな大きな掲示物がありました。

実は・・・我が清水駅前銀座商店街の全く同様の規制があります。

特に自転車については、数十年前商店街の店主の一人のおじいちゃんがその都度自転車を

通せんぼして止めてましたね〜。知らない人が多いですが、自転車は通行禁止(降りて押す)

なんですよね〜アーケードって。(※補助標識で「自転車歩道通行可」の場合はOK)

途中こんな大きなエディオンが?!調べたら登記上本社はココだそうです。

合併前のデオデオの本社がココだったんですって。

アーケードを過ぎると突然原爆ドームが見えます。

広電や観光バスで直接来ると分かりませんが、歩いてくると

「爆心地が本当に皆さんが暮らしていた市街地」という事がよくわかります。

折れ曲がった鉄骨や、バルコニーの石の枠などはそのまま残っています。

原爆ドームについては、後述しますのでここでは割愛します。

ドームの近くにあった「動員学徒慰霊塔」です。みなさん、「建物疎開作業」ってご存知ですか?

動員学徒慰霊塔
建立年月日 昭和42年(1967年)7月15日政府は労働力の不足を補うため、昭和19年(1944年)8月に学徒勤労令を発し、中学生以上の生徒は軍需工場等での勤労奉仕が強制されました。また、 11月には、空襲による延焼を防ぐため、民家などの建...

私、後で行く資料館の説明まで全く知りませんでした。

「建物疎開作業」は火災の延焼を防ぐため民家などの建物を壊し延焼を防ぐ作業です。

この作業には中学生以上の生徒さんが勤労奉仕として強制され、もちろん普通の市民も強制参加

したそうです。

上記のように作業員として学徒動員の学生のみなさんが空襲などで亡くなった方は全国で一万人以上にのぼるそうです。

そのうち、7200人が原爆で亡くなったと説明書きにありました。半数以上です。

8月6日はこの「建物疎開作業」が集中的に行う日だったそうで、被害も大きくなったとありました。

広島は快晴だったこと、3日後の投下では小倉が曇天で長崎に変更になったこと(だから早朝ではなくお昼前)

まだ資料館に行く前なのに色々と知らないことばかりでした。

つづく・・・・

 

 

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