大学院の生徒さんのフィールドワークでのインタビュー【備忘録的に】

こんにちは、若旦那です。

先日、大学院の生徒さんから

「観光の視点から清水が今目指している「清水港を中心とした活性化」を

今までの歴史も含めて清水で生活している(商売している)方々の目線での

お話を聞かせてもらっている」

と説明頂いてお店に座りながら2時間弱お話させて頂きました。

(というより本当に楽しい会話でした)

沢山話した事はあるのですが、抜粋します。以下質問頂いた事。

・今清水港を中心として行政も活性化や再開発しているけど、そもそも

西ヶ谷さんは小さい時(小中高)清水港に行きましたか?

・西ヶ谷さんの生活圏はどのくらいですか?

・お魚とこで買いますか?

・小さい時(小学生まで)記憶に残る商店街の出来事ってありますか?

・お店にお客さんが来た時に「このひとは観光客?」って意識しますか?

もしくは、いつから意識しだしましたか?

と色々多岐に渡った質問も頂き私も会話がはずみ、清水の歴史、駅前銀座と清水銀座の違い、変遷、

次郎長屋の歴史、日々の買い物などなど話しました。

上記の質問で一番考えさせられたのは一番最初の

「小さい時に清水港(もしくは、海の近く)に行ったか?」

という質問です。

よくよく考えると、、、、

私は行ってません。

何故か?

遊ぶところがありませんでした。

家族で外食するような所もありませんでした。

釣りも数回しかしたことありませんでした。

だから、「清水港」というのは「観光スポット」でもなく、

「歴史的、文化的にずっと昔からあるモノ」としての印象が全くありません。

とても良くない言い方をすると「海辺の工場地帯」です。

だから行った記憶が全く私にはありませんでした。

清水区民の方どうですか?

家内とも結婚する前に清水を案内したときには三保の松原、久能山、日本平くらいです。

そこに「清水港」という選択肢はゼロでした。

また、マグロ、カツオなど魚の水揚げ拠点としても

ほぼ「教科書で出てくる清水港」であって「冷凍カツオ、冷凍マグロ」なんて社会科見学でみたかどうか・・・(^^;;;

話を元に戻しますが、「行政の目指す清水港を中心とした活性化」はやはり「工業的」な目線が多いように思います。

https://www.city.shizuoka.lg.jp/000077737.pdf

もともと、江尻湊からはじまった清水港は、港湾事業と深い関わりがあり、

「レジャーや観光」という歴史や文化は少ないのではないかと思います。となると歴史や文化の観光資源がある函館や長崎とは違い、

清水港はこれから「資産価値を市民とともに作ってゆくモノ」なのではないかなと話し合いながら思いました。

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※こちらの写真は清水港や富士山など清水を題材とした写真撮影をライフワークとしている

山北 裕丈さんからお借りました。

https://www.yamakin1105.net/

そして、次に

「このひとは観光客?」って意識しますか?

って質問でした。私の記憶の中では、、、、

「観光客?って意識した」=「おもてなしって気持ちを意識した」

と同時期だと思います。

おそらく、これは「三保が世界遺産になってから」なのかな、、と思います。

それと外国船が入港するようになってから。

それまでは、来店のお客さんを観光客だなんて意識すらしなかったです。

元々全国の安心安全の食材を提供しているお店ですので、「清水土産」も少ないです。

今でも日々の食卓を豊かにしようと私と家内で切り盛りしているお店です。

私にとってもこれからの課題というかキラリと光る質問を頂いた次第でした。

天邪鬼を自他ともに認めている私ですので、上記の考えはちょっと偏っているかも

しれませんが、フィールドワークでの色々な方のインタビューも元に

どんな修士論文が出来上がるかとても楽しみです。

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