若旦那北海道へ行く!part14 その2

若旦那北海道へ行く!part14  その2

岩手県の野田村までは約60キロでしょうか、、、。 次郎長屋や私が何故野田村に支援しているかと言いますと 今までも三陸のわかめを永年売っている関係で重茂や田野畑、野田の産地のワカメが今までも幾度となく入っていたのです。重茂の浜には5/18に既に一度訪れお見舞いしてきましたが、この野田村は私のオンラインショップの友人の実家ということもあり、清水店、静岡店に募金箱を置いてお客様からもご支援を頂いている経緯があるのです。 今回お客様から預かった義援金を役場の方にお渡しするのと、今後のわかめ養殖漁業についてしっかりと見てくるという大きな宿題なのです。

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レンタカーを借りた訳は八戸線が未だ復旧してないのです。 三陸鉄道の始発駅の久慈まで八戸から行けないんです。また三陸鉄道も久慈~陸中野田までしか通っておらず、それ以降はバスでの代替運転をしている状況です。

まずは、野田村役場に行って義援金をお渡ししてきました。この義援金をですが、義援金と言うとこれは被災された方にしか援助出来ないそうですが、支援金となると、役場が被災者のために行うイベントや役場の経費として使用することができるのだそうです。役場からも支援金として頂ければ!との話でしたので私も10年支援金としてお渡ししました。

役場の方の話では、人間の作った形あるものは全て壊れたし流されてしまった。でも昔からある自然はそのまま残っているし逆に人と人との繋がりはどんどん広がって強くなってきている。 と仰っていました。

団塊の世代の人達は「がむしゃらに働いてきて成長しかありえない時代」を生きてきたので「なんとかなるかもしれない」と比較的安易に考えている所もあるそうです。逆に40代以下の人達は相当な危機感を持ってこれからの未来についt考えているそうです。 いきてきた時代、背負うものが違ったりするのは当然なんですが被災地の現場ではギャップがあるようです。

またテレビや新聞などのマスコミについても あらかじめストーリーを組み立ててから取材に来る、、、。意にそぐわない話や映像などは被災地の気持ちとは全く別でカットされてしまう、、、。と嘆いていました。

肝心のわかめですが、わかめより何よりまずは「船」がない。 養殖イカダがあっても船がないと何も出来ない。 小さな村では国からの援助もままならないし、漁師さんに自分で新造船を用意して!なんてとても言えないし漁師さんも出来ない。 二年、、、いや三年かかるかも。いや十年かな、、、。と仰っていました。 厳しい現実を聞かされて私も微々たる事だけど長く支援しないいけないと思いました。 役場の方から津波襲来から今までの復興までの資料を頂きました。静岡店、清水店にございますので是非ご覧下さい。

役場を後にして三陸鉄道の陸中野田駅に向かいました。 ちょうど、支援している方ががイベントやをやっていたので私も手形を取って応援のコメントを書きました。神戸ビエンナーレで展示されるそうです(^-^)

おお〜その方のブログに若旦那載っています〜〜〜(^^)いつもブログ書いている側なので掲載されるって嬉しいですねぇ〜(^^)

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先程も書きましたが三陸鉄道のはここから先数十メートルが津波で線路を流されてしまっています。

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この写真などは一見道路に見えますが元々は線路があったのです!!

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地元の学生や生活している人の足として必須の鉄道です。是非とも復活して欲しいですね!(^ ^)

続く、、、、。

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